中学生の頃、プレステの「I.Q.」に熱中して、「ポリンキー」とか「バザールでござーる」とか「カローラⅡ」のCMもよく見てました。だんご3兄弟とかも懐かしい。それが、「作ったのは全部同じ人だったんだ」、「佐藤雅彦さんという人なんだ」と知ったのはわりと最近のことでした。
昨年秋、学術・芸術・技術開発などの功労者に贈られる「紫綬褒章」を佐藤雅彦さんが受章されていて、そのときのインタビューがとても素晴らしかったです。
特に最後の若い人に向けたメッセージは今後、何度も何度も見返したいなと思いまして、以下に書き起してみました。
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『Q1:このたび紫綬表彰を受賞されましたが御感想を一言お願いします』
最初聞いたとき、正直、すごく意外な感じがしました。驚いたというよりは意外で、「なんで自分が?」っていうことをまず感じたんですけど、その後「どこかで見てくれてる人がいるんだな」って感じました。それがすごく感激しました。
『Q2:クリエイティブディレクターとして これまで様々な作品を作っていらっしゃいますが 特に思い入れの強い作品はありますか』
広告から始まってテレビ番組とかいろいろなことをやっていますけれど「ひとつと言われたら絶対自分はこれだな」と思うものがあって、それはプレイステーションのゲームソフトで「I.Q」というものですね。
広告とかテレビ番組はどうしても、見る人、対象があって、その人たちに届かなくちゃいけないっていう表現を目指しているんですけど、ゲームソフトの「I.Q」、インテリジェントキューブっていうものは、自分が好きな世界ってのを思いっきりやったんですね。
なので、「I.Q」が自分にとっては、自分もすごく「自分らしいな」と自分でも思っていて、一番思い入れがあります。
ソニー・コンピュータエンタテインメント
『Q3:これまでの作品を通して 一番伝えたいメッセージはなんですか』
とても難しい質問だと思うんですけど、なぜ難しいかというと、僕はどちらかというとテーマとかメッセージを作ることをやってなくて、「どうやったらそれが伝わるか」という表現方法、どうやったらこれを学んでくれるかっていう教育方法をやってたんですね。
ですから届けるメッセージは、例えば広告だったらクライアントが「この商品のこういう特徴を伝えてほしい」ということがあるし、テレビ番組だったら例えば「中学生に理科の新しい考え方を伝えたい」というメッセージがまずあるわけですね。
ですから、僕はどちらかというと、「どうやったらそれがその人たちに届くか」ということをやっていたので、特にいつもテーマとかメッセージっていうのがなかったんですね。
ただ、どの表現にでも「その人が主体的にそれを理解する」っていう、単純に分かりやすいとかそういうことじゃなくて「その人が主体的にそれをすごく解釈する」っていうのを目標に作っていました。
『Q4:見た人が考えさせられるような作品をたくさん作られていますが アイデアはどのようなところから思いつかれるのでしょうか』
アイデアって言うのは、表現を解釈する人、例えばテレビだったらリビングやお茶の間にいる人々なんですけど、視聴者ですよね、書籍だったら読者だったりするんですけど。非常に鑑賞者として僕はプロだと思ってるんですよね。
ですから同じような表現をとると、どこか「つまらないな」とどっかで思うだろうなと思ってて、その人達が「あ、これは新しいわかり方だ」「自分はわかってしまうんだけど新しい」っていうことがないと、その表現を認めてもらえないんですよね。
ですからいつもそこで、何らかのジャンプが行なわれなくちゃいけないんですよ。過去やった表現を流用したりですとかすると、それはもう軽く見抜かれてしまうんですよね。ですからこっちも毎回ジャンプしなくちゃいけません。
やったことがなくて、やられたことがなくて、まだ言語化されてないけれど「これは面白いんじゃないか」というのをジャンプして見つける。ジャンプしたあかつきには、それを言語化できるんですけど。もう毎回ジャンプを入れようとしているんですね。
でもジャンプってのは非常に難しくて。どこで見つけるのか?っていう質問だと思うんですけど、それがすごく難しくて、いろいろなとこに隠れているんですよね。それで、いつも自分が、僕は「うまく待つ」といってるんですけど、そういうものを見出す自分でいるように、うまく待っている、見過ごさないように。
佐藤雅彦
暮しの手帖社
2011-11-01
なんか当たり前だと思っていることが、実は当たり前じゃないことがとってもあるんですよね。それとなんかわからないけれど、これは鍛錬なのかもしれないですけれど、色んな場合の数を、無数の場合の数を、頭の中でやる訓練というかですね。
すると全部「この場合、この場合・・・」もう全部やられていて「つまんない、つまんない・・・」全部つまんないんですけど、なんか頭の中でガチャガチャやってるうちに、セレンディピティっていうんですかね、たまたまなんかのモノが見えたりしたときに、ガーンとくるジャンプの映像だったりしますね。
だからやっぱり、なんていうんですかね、そういう「うまく待つ」っていうのと「ものすごく追求すること」だと思いますね。
『Q5:作品を作るときに一番大事にしていることは何ですか』
先ほど言ったように、本当の答えっていうのは、そこに行く道がない、橋がないんですよ。すると頭のいい人は「こうだからこう、こうだからこう・・・ですむじゃないか」って言って通り一遍の解決ってのは、今の世の中だからいくつかあると思うんですね。
ところがそれは、そんなに解決になってない場合が多くて、表現の場合はそれは一言で「つまらない」とか言われてしまっておしまいになることがあるんですね、一生懸命作っても。
で、教育の場合はやっぱり興味を持ってその人があることを学んで獲得しなければいけないので、その教育表現というものがある「たたずまい」というんですかね。「この数学的な考え方、物理の考え方は、なんか面白そうな雰囲気である」という「たたずまい」を出してないと中学生でも高校生でもね、挑んでくれないんですよね。
そういう「たたずまい」別の言い方で言うと「表現」なんですけど、そういったものを作るときに「こうだからこう、こうだからこう、こうだからこう」という通り一遍のことをやると、それはやっぱりそういう「たたずまい」を持たなくて、そんなに挑んで本格的にその問題と格闘する価値があるかどうかっていうと、それは見透かれてしまうんですね。「これはきっと普通にやれば解ける」っていう。
そうじゃなくて、こちらもさっき言ったように、何らかの発見・ジャンプをそこに入れた時にそういう「たたずまい」が持てるので、そこを必ずそういうものを入れようとしてますね、どんなものでも。それは広告で「ポリンキー」を作るときも、「バザールでござーる」を作るときも、ゲームの「I.Q」を作るときも、「ピタゴラスイッチ」を作るときも。
全部そういった自分の発見を絶対入れないと、要するに鑑賞してくれる人、読者とか視聴者はそれに対して、これは自分がある時間を使ってそれと付き合うわけですからね、本だったら何時間かかって、番組だったら・・・短い番組でも何年か付き合ってくれる訳ですから、そういうものに値する、そういう雰囲気が、たたずまいが、なんか持てないんですね。
『Q6:今後はどんな活動をしたいとお考えですか』
実は自分が作った表現って、さっきも言ったようにコマーシャルからゲームから本から、あるいは展示からあるいはテレビの番組とか、すごくいろいろな風に見えるのかもしれないんですけど、僕としてはやってることはひとつなんですね。
それは「どうやったらあることが他の人に伝わるか」っていうことをやってるんですね。例えば「ポリンキー」だったら「ポリンキー」の名前とか存在とか、商品特徴がどうやったら15秒で伝わるだろうかとか。
あるいは「I.Q」というゲームだったら、この「I.Q」の持っているものすごい世界観、その中であるゲーム性が展開していくという、これがどうやったら伝わるだろうかと。
あるいは「考えるカラス」であったら、科学の考え方を頭ごなしに教科書的に伝えるんじゃなくて、こういうみんながびっくりするような実験をする。あるいはアニメーションを作る。そうしたら伝わるんじゃないか、ということをずっとやってきたんですね。
あるいは「考えるカラス」であったら、科学の考え方を頭ごなしに教科書的に伝えるんじゃなくて、こういうみんながびっくりするような実験をする。あるいはアニメーションを作る。そうしたら伝わるんじゃないか、ということをずっとやってきたんですね。
今回の賞っていうのは、単発でひとつひとつ見てくれている人はいるんでしょうけど、全体を見てくれている人がいるだなって思って、すごく僕は感激したんですね。今後も僕は、やることはひとつだと思います。どうやったらそれが伝わるか、どうやったらそれがわかってもらえるか、ということを極めていきたいですね。
『Q7 :クリエイターから大学での教育者になられた経緯を教えてください』
そうですね、実は僕が大学のときって、「表現方法」とか「教育方法」とか言葉がなかったし、例えば僕の卒論で、例えば数学を教えるのにアニメーションとか漫画を使うっていうことを指導教官に言ったときにものすごく怒られたんですよね。
「漫画かよ」と言われちゃったんですよね。すごく身分の低いものだった訳ですよね。でも僕が使ってた数学の参考書で、テラダ先生っていうすごく有名な数学の先生がいるんですけど、その方の書いてた数学は、そのとき唯一といってもいいぐらいなんですけど、漫画で挿絵でポイントがかいてあるんですよ。それがすごく分かりやすいんですよね。
「なんだ、このコミュニケーションは」と思ったんですよ。その頃はまだ高校生ですからね。コミュニケーションがとかなんか分かりやすいな、とは思わなかったんですけど、すごくそれでポンポン分かってって、大学で教育学部にいった時に、なんか新しいそういう教育方法はないかなと思ったんですね。
まだビデオもないし、アニメーションも撮影室もなかった頃でしたからね。ウォルトディズニーのアメリカのアニメーションがあるくらいで、動画なんか見ることはできない、作ることなんかできないし。そんな時代に新しい教育方法として、例えば科学の番組あるいは数学の番組をアニメーションでやるとかっていう研究をやりたいと言ったときに、もう正直言って理解されなかったんですね。
それで居場所がなくてですね。自分はサラリーマンになろうかなと思って、普通にサラリーマンになったんですね。表現の世界に入ったのはすごく遅くて、30歳過ぎてからなんですよ。それでなぜかテレビコマーシャルも好きでそういうものを作るところに行き着けて、夢中になって作ったんですね。
コマーシャルを作ってた時期ってすごく短いんですけど、ものすごい量を作ってたんですけど、それすごく変で、作り方を作ってた。要するに表現方法論を作っては、自分自身の方法を作っては、それを具体的に。例えばトヨタ自動車から「カローラⅡ」が来たらこうするとか。
これは僕は「映像は音から作る」という方法論があるんで、「♪カローラⅡに乗って」って。その時、小沢健二が歌ったとすれば、すごくカローラⅡのブランドがあがるな、とか。
なんか例えば、NECから店頭フェアのCMをやりたいと言われたとき、いいネーミングがないというとき、僕は「濁音時代」っていう方法論があったんですね。
「ダースベーダー」とか「午後の紅茶」とかなんか濁音がやけに強いって言う方法論なんですけど、その時に「バザールでござーる」っていうのを。「だんご3兄弟」も「濁音時代」に作ったんですけど、表現方法論を作っては試してたんですね。
「ダースベーダー」とか「午後の紅茶」とかなんか濁音がやけに強いって言う方法論なんですけど、その時に「バザールでござーる」っていうのを。「だんご3兄弟」も「濁音時代」に作ったんですけど、表現方法論を作っては試してたんですね。
それが非常に効果があって商品の知名度とか売り上げを伸ばしてって、どんどん表現方法論を作ってたんですけど、そのうちに自分「なんでこんな作り方を作ってるんだろう」と思ったときに、広告・コマーシャルを作りたいんじゃないってことがやっと分かるんですね、何百本作った後に。
自分はこの表現方法を作りたかったんだということがわかったんです。表現方法とは教育方法。そっちなんだと思って新しい分野に行くんですね。それで別にコマーシャルでなくてもいいなと思って、それで新しい表現方法・・・自分の言葉なんですけど「トーン」という方法論を見つけたときに、その先にゲームのアイデアが、世界が生まれて、先ほど言った「I.Q」っていう世界観を、その新しい方法論で作るんですね。
そういう表現方法を作りたいんだってういことを、だんだん分かってくるんですね。それは、頭で分かっていくんじゃなくて、どんどん作りたいものを作っていくんですね。するとそれが言語化されて最後に抽出されたのが表現方法・教育方法だったんです。
それやった頃に慶應大学に呼ばれて「そういうものを教育・研究してくれ」って言うんで。大学の研究室を作ってからは、本当それをどんどん言語化してって、新しい表現方法なんかも見つけたってのが今までの流れですね。
『Q8:どんなクリエイターを育てたいですか』
今話したように、僕は新しい表現・・・表現だけじゃないんですけど、新しいものを作るときに、その作り方が新しければ、おのずとできたものも新しいということを教えてるんですね。
みんなに言っているのは作り方を作るっていうこと。いきなりマニュアルで作る、マニュアルを教わって作るというやり方もひとつあるんだけど、そうじゃなくて「作り方」を作る。
例えば僕がテレビコマーシャルの作り方を、例えば「音から作る」とか、それまでの作り方をちょっと変えたんですね。そうするとやっぱり、オンエアーで流れたときにみんな「なんか違うぞ」と思うわけですよね。ですから作り方から作ると、おのずとできたものは新しくなるっていうことを言ってて。
それは表現を目指している人たちではなくて、新しい製品を作る人とか新しい事業を作る人とかにも、そういうことを言って大学で教えてるんですね。「作り方」を作るっていう、要するに自分の作り方っていうのは、すごく自分のオリジナルがそこに入るんですよね。そこを今一番教えています。今というかもうずっと教えていますね。
『Q9:将来佐藤さんのようになりたいと思っている若者や子供たちへのメッセージをお願いします』
僕は実は30過ぎてから表現の世界に入ってきたわけなんですけど、今なんでこんなに物を作ることに集中とか夢中になれるかっていうと、ちっちゃい時僕は静岡県の伊豆で育ったんですね。毎日海に行って、海の生物・・・アメフラシとかですねヒトデとか、そういったものに夢中になってたんですね。
それとか近所の子ども達に新しい遊びを提供することに夢中になってたりとかしてて、あと海もありますし山もあるし川もあって、もう夢中になれるものがですね、素材がまわりにあふれてたんですね。虫も魚もものすごくいっぱいあったし、遊びも自分で作ってて、ものすごく夢中になったんですね。
で、その時には例えば表現の「表」の字もないですよね。デザインの「デ」の字もないんですよ。やっぱり何が面白いか、これに夢中になるっていう、僕は夢中になるってことを「studious」っていうラテン語で表してるんですけど。
あの「study」っていうと勉強って訳しますけど、その「study」の語源っていうのは「studious」っていって、夢中になる・熱中する状態なんですね。ですからスタジオ(studio)なんかみんなが熱中して物事を作ったり撮影したりしてるわけですけど。
「studious」になることを覚えた子どもだったら、将来それは表現をやろうと、他の例えば研究をやろうと、あるいは物を作る人になろうと、それはすごくやっぱりひとつのものを集中の仕方が分かっているので到達できるんですね、自分のやりたいことに。
一番いけないのは、体裁だけを整えて「こっちの方が見栄えがいい」とかですね、その表面だけのことを覚えて取りつくろうことだけが巧みになるっていうのが、僕はすごく今恐れていることなんですね。
もう小さいときは・・・この映像って多分、子どもが直接見るっていうか、お母さんとかあるいは大学生とか、これから若い人を育てる立場の人だと思うんで言いたいんですけど、それが釣りだろうと音楽だろうと、特にスポーツですね。野球やサッカー、そういうものに夢中になることを周りで勧めたいなと思ってるんですね。そういう環境を作りたいっていう。
例えば僕は結構、体育会の子が好きなんですけど、野球やってた子って、中途半端な面白さ、世の中の例えばシュールな面白さみたいなああいうものは「え、つまんないんじゃないの?そういうものは」と一言で看破できる力を持ってるんですね。
ですから一度夢中とか熱中した経験のある子だったら、「何が本当に面白いのか」「何が本当に美味しいのか」とかが分かるんです。世の中マスコミがすごくうるさいから、「これがなんか美味しいですよ」とか「これが面白いですよ」とかって、いっぱい情報がありますよね。
その時にやっぱり大事なのは自分の考え、自分の意見ですよね。「なんだつまんないじゃないか」と、「なんか世の中間違ってるな」と思ってもいい。そういうなんかこう自分が一度夢中になった・熱中した体験があると、本当のものを見つける力があるなと思うんですね。
僕は本当に表現の世界に入ったのはすごく遅いんですけど、それまでに夢中になったものが今思うとたくさんあって、たまたま故郷が伊豆で海とか山とか自然がとてもきれいなところで、それはすごく今感謝してますね。本当に面白いもの・きれいなもの・美味しいものっていうのを、そこで身をもって知ったと思うんですね。