片方はなにかとお騒がせなブロガーさんたちの記事が読める「BLOGOS」、もう一方は猫の画像からボルタレンのネイティブアドまで幅広い話題を扱う「ハフィントン・ポスト」。それぞれの媒体の編集に携わる人のお話。いまさらですが、必読です。

メディア(紙でもWebでも)、編集や何かを書くという仕事などに関わる人にとってはすごく役に立つんじゃないかと思います。


【編集部より】BLOGOS開設5周年にあたって

5周年に寄せた大谷編集長の言葉。


データビジュアリゼーション、動画、長文記事......編集者として思ったこと【編集ノート】 | 伊藤大地

ハフポの編集者・伊藤大地のメモ


この2本の記事、ぼくは何度も読み返しました。

■メディアとしてSNS傾倒への危惧

今年はバイラルメディアが良くも悪くも盛り上がった。あらゆるメディアがSNSからの流入を最大化させようと工夫を重ねているけど、果たしてそれでいいのだろうか。人の喜怒哀楽の振れ幅だけに特化したコンテンツを見続けることが読者のためになるのか、そういうお節介なこともどこかで考えておいた方がいいんじゃないかっていう。


ソーシャルメディアの普及は、情報の量や、それらの"流通のさせやすさ"を増幅させた一方で、自らにとって興味・関心のあるもの、心地いいものはより見えやすく、自らの興味・関心から遠いもの、見たくないものを見えにくくしていると感じます。
 


「泣けた」とか「笑えた」ではなく、本当の意味で知らなかったこと、"どうにかしなければいけない"と思うこと。人にも伝えたいと思うこと。意図して自らのタイムラインを飛び出して、他のメディアに触れ続ける努力をしなければ、そうしたコンテンツに"偶然に"出会える機会は、ますます少なくなっている
 


それはともすると、自らの考えを相対化する機会を失うばかりか、閉ざされたインナーサークルの中で優等生的な意見を発信することへの圧力を高め、自然、異論・反論に触れることを避ける、排除する方向につながると言えないでしょうか。
 


こうやってBLOGOS編集長・大谷さんが自らの意見を述べるのはとても珍しいことだ。
 

努力し続けることでメディアになる

おかしなことを言うと、お金が欲しかったら、こんな仕事(ウェブメディア)はやっていない。売れるもの、ウケるものをただ作りたいわけじゃないと、ほとんどの人が思っていたりする珍しい職種だ。

今年はいろいろな人がいろいろなメディアを立ち上げた。どういうわけかニュースサイトやキュレーションサイトなどのウェブメディアが話題の中心になることが多かった。景気の良いニュースはたくさん聞いた。だけどそれで終わりではないし、工夫を重ねながら地道に続けるのが楽しいよね。


少し変な言い方ですが、メディアは、開設され、誰かが担当者になった時点でメディアになるのではなく、努力し続けることでメディアになる(する)、そこにこそ価値があるのではないかと思います。
 


決して綺麗ごとばかりが並ぶサイトでもなく、決して"売れ筋"なサイトではないかもしれません。流行という観点から見れば、ずいぶん古風なことをしているサイトにも見えるかもしれません。

しかし、サイト上に掲出させていただいているキャッチコピーの「意見をつなぐ、日本を変える」とはそういうことであり、それが私たちがBLOGOSというメディアを通じて実現していきたいことです。
 

大谷さんから、主に、心構えのお話でした。ぜひ全文読んでほしいなと思います。


【編集部より】BLOGOS開設5周年にあたって



■データヤリマンになっちゃいけない

もう少し実務的なノウハウをハフィントン・ポスト編集者の伊藤大地さんから。彼は今年、サッカーW杯などに関して、さまざまなデータを活用したり、ビジュアライゼーションに挑戦した記事をたくさん出していた。

で、約1年間やってみてどうだったの? というところを振り返っている。


今年はデータを可視化したデータビジュアライゼーションも流行したが、いざスマホ、ということを考えると、とくに自分でグラフや地図を触れる、インタラクティブ性のあるものは非常に使いづらい。

さらに、そうしたツールがメインコンテンツとして前面に出てしまうと、そもそもテーマに興味を持ってもらう仕掛けに乏しく、読者にとっては「だから何?」と素通りされ、その新奇性で業界関係者だけが感心する、みたいな笑えない流れになってしまう。
 


PCの前にでんと構えて、ゆったりと眺めるNew York Timesの「Snow Fall」ならまだしも、スマホを主戦場にするメディアにおいて、あまりにリッチなデータ活用やビジュアライズはオーバースペックすぎて、自己満足および業界関係者だけの内輪評価だけにしかならないのでは、という冷静な指摘。

デバイスを選ばず、いかに読者の気付きに徹するかが、大事なんじゃないかと言っている。


ニュース記事に動画貼っただけじゃ再生されない

動画だ動画だと皆言うけれど、記事中にYouTube埋め込まれてたって再生しない。わざわざイヤホン付けて再生するのは手間すぎる。だからVine強しというのは確かにある。W杯のときにスポーツとの相性の良さを感じたというのはまったく同感。


動画に関しては、スマホで動画を見るケースを考えると、記者会見や中継のような本当にリアルタイム性が重視されるものか、生主、YouTuber、人気ブロガーといった発信者そのものにファンが付いているケースか、どちらかだろう。

ニュース記事に単に動画が貼られているだけでは、なかなか再生には至らない。

まず動画でやるべきなのはFacebookの活用ではないか。スマートフォンのFacebookアプリではスクロールするだけで直接動画が再生されるため、ハードルが低く、「ついつい見てしまう」。 
 


記事は長くても短くてもいいけれど…

ちゃんと読者に何かを持ち帰ってもらわないといけないですね。長い方がいい、短い方がいいってのは、どちらにせよ中身があってこその話なので、短ければ中身がなくても許されるってことはない。
 

「長い記事は読まれない」というのは、本サイトのデータを見る限り、決して真実ではない。ただ、今のスマホユーザーは浴びるほどの大量の情報にさらされているため、費やす時間に対して、どれだけのものが得られるか、という時間あたりの満足感についてはとにかく厳しい、というのが実感だ。

長いのならば、長い必然性と最後まで読ませるクオリティを備えていなければ読まれない。単純だが、結局そういうことなのだと思う。
 

第一線の編集者が1年間の試行錯誤を通じて得た経験はとてもリアル。こちらも全文読んでおいた方がいいでしょう。


データビジュアリゼーション、動画、長文記事......編集者として思ったこと【編集ノート】 | 伊藤大地



と、こんなお二人の話が響く人にはこの本が絶対おすすめ。ぜひ参考図書に。







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というわけで、今年最後の更新でした。1年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。