たまたま見かけた駒澤大学文学部の高田知波教授の論文。


「新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度」 : 村上春樹研究のための微視的ノート
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/17667/kk042-13.pdf 


僕は文学部の出身なんですが、文学部の先生というのはこういったことを研究しているのですね。

この「新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度」というフレーズは、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』のなかに出てきたもので、ラジオのアナウンサーが病気の女の子からの手紙を読み上げたときの一節です。

風の歌を聴け (講談社文庫)
村上 春樹
講談社
2004-09-15



大好きなシーンではあるけど、普通に読み流していました。論文はあえてこの部分を執拗なまでに分析しているところが面白いし、その視点が素晴らしい。

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冒頭のフレーズの分析に戻ると、「風の歌を聴け」の舞台となっている1970年代に、プロ野球についてそんなに詳しい女性は少ないはず。ましてやずっと病院に入院している女の子が「新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度」なんていう比喩を理解して使うだろうか、と疑問を持つ。

村上春樹はなぜ、このようなあまりに設定と調和しない例えを持ちだしたのか。

著者の結論はこうだ。

実はこのアナウンサーは阪神ファンであり、当該箇所は彼が独自の加工をしたということを暗に示しているーー。



少女の手紙の中のプロ野球の比喩の異質性は作品の欠陥ではなく、アナウンサーのたくらみの不完全性を露呈させる作品の仕掛けだったのではないだろうか
 



なんだってー!!!


深い。文学作品というものはこうやって読み込むのか…。村上春樹ファンはきっと楽しめると思うのでぜひ読んでみてください。論文って普段ほとんど見ないけど、いいですね。


「新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度」 : 村上春樹研究のための微視的ノート


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なおこの論文では他にも、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』における以下の2つのシーンを取り上げて、村上春樹と野球の関係について比較している。


プロ野球のことはよくわからないので、便宜的に現在攻撃しているチームの方を応援し、守備についている方を憎むこととした。
(主人公である「私」がタクシーの中でラジオを聞く場面)
 


神宮球場ではヤクルト対中日の最終ゲームが行われていて、ヤクルトが6対2で負けていた。
(私がやみくろから逃れて地上に出て「スポーツ・ニッポン」を読んだ場面)
 


この部分に関して、その当時のシーズン終盤にヤクルトが上位争いをしていた年はない(中日はある)、従って、わざわざ「ヤクルトが」と主語にすることには何らかの特別な意図があるのではないか。主人公はタクシーの中で「プロ野球のことはよくわからない」と言っていたにもかかわらず、ヤクルトに着目するところにそのヒントがある、というような指摘である。

しっかりと数十年前のプロ野球の成績まで振り返っているところが面白い。








それでは良い週末を。