インターネットをぼんやり眺めていると、面白いコンテンツが増えたなと思います。役に立つかはわかりませんが、面白い。だらだらといくらでも見続けられる。

ソーシャルメディアの利用時間が増えるにつれて、人づてのシェアで広がるコンテンツが目に触れるようになってきて、対策も手っ取り早いので新興のウェブメディアなどはかなりそちらを意識したサイト作りをするようになる。

もっとも極端なものはいわゆるバイラルメディアと呼ばれるもので、クチコミされることを第一義とし、感情を揺さぶることに特化したコンテンツを量産していく。 その仕組みはとても面白くて、危なっかしくて、エキサイティングなわけです。

もう従来的なサイトは立つ瀬がないよね。とは言っても、そんなの読者からしたらどうでもいい問題で、面白ければ万事オッケーかもしれない。じゃあどうしようかというモヤモヤした状況について、BLOGOS編集長の大谷さんがサイト開設5周年にあわせて語っていました。


【編集部より】BLOGOS開設5周年にあたって


以下にちょっと抜粋してみます。


フィルターバブルへの危惧

大谷さんが自らの意見を述べるのはとても珍しいことだけど、すごく的確で、まだ10月ですが特に今年はまさにこんな感じだったなあと思います。


さて、ソーシャルメディアの普及は、情報の量や、それらの"流通のさせやすさ"を増幅させた一方で、自らにとって興味・関心のあるもの、心地いいものはより見えやすく、自らの興味・関心から遠いもの、見たくないものを見えにくくしていると感じます。
 


「泣けた」とか「笑えた」ではなく、本当の意味で知らなかったこと、"どうにかしなければいけない"と思うこと。人にも伝えたいと思うこと。意図して自らのタイムラインを飛び出して、他のメディアに触れ続ける努力をしなければ、そうしたコンテンツに“偶然に”出会える機会は、ますます少なくなっている
 


それはともすると、自らの考えを相対化する機会を失うばかりか、閉ざされたインナーサークルの中で優等生的な意見を発信することへの圧力を高め、自然、異論・反論に触れることを避ける、排除する方向につながると言えないでしょうか。
 


この5年間、ネット上ではこうした傾向は更に強まっているように感じます。 
 



読者不在の議論ばかり

後半は決意表明。ほんと“メディアの未来”に関して論じるイベントがたくさんありました。いったい誰のためだったのでしょうか。



新たなサービスやプラットフォームが出るたびに、いわゆる"業界"では"メディアの未来"についてさかんな議論が交わされます。

それらの大半は言葉の定義=そもそもメディアとはなにかといったメタ的な議論、そしてそれらがどうすれば成功できるのか、といった方法論、技術的な議論であり、ビジネス的な観点からの、"中の人"のための議論でありました。
 


他方、ではそのメディアを通して何を伝えて行きたいのか、何が伝わったのかという、"読者"のための議論はどうだったかと言えば、極めて少なかったように思います。
 



努力し続けることでメディアになる

そういえばいろいろな人がいろいろなメディアを立ち上げました。立ち上げのニュースはたくさん聞きました。しばらくしてサイトを見にいくといつの間にか終わっていた、なんてこともありました。少しでも、努力し続けていきたいものです。


少し変な言い方ですが、メディアは、開設され、誰かが担当者になった時点でメディアになるのではなく、努力し続けることでメディアになる(する)、そこにこそ価値があるのではないかと思います。
 


決して綺麗ごとばかりが並ぶサイトでもなく、決して"売れ筋"なサイトではないかもしれません。流行という観点から見れば、ずいぶん古風なことをしているサイトにも見えるかもしれません。

しかし、サイト上に掲出させていただいているキャッチコピーの「意見をつなぐ、日本を変える」とはそういうことであり、それが私たちがBLOGOSというメディアを通じて実現していきたいことです。
 

個人的に響いたところを抜粋しましたが、ぜひ全文読んでほしいなと思います。


【編集部より】BLOGOS開設5周年にあたって



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